皆さまこんにちは。3週間の一時帰国の最後、11月6日に「佐々木さんを支援する会」主催の活動報告会が、東京の大井バプテスト教会で実施されました。その報告会では、9月に実施された「和解の現場訪問ツアー」に参加された4名の方々、そして、9月に1年間の留学を終えて日本に帰国された北村美月(きたむら みつき)さんが短い報告・スピーチをしてくださいました。
北村さんがその時の原稿を送ってくださったので掲載させていただきます。ルワンダで多くの気づきが与えられ、大切なことを学ばれたことが良く分かる文章ですが、私は、彼女の共に学んだ学生たちやルワンダの人びとへのリスペクトが素晴らしと感じました。
ルワンダ留学を通して学んだこと
東京外国語大学アフリカ地域専攻3年
北村美月
1年間のルワンダ留学を終え日本に帰国してから1ヶ月以上が経ちましたが、未だに何事も時間通りに進む日本の正確さに慣れずにいます。のんびりした町並み、1時間以上食べ物が出てこないレストラン、面識は全くないのにすれ違うときにあいさつしてくるルワンダ人たち、マーケットのおばちゃんたちとの値段交渉、笑顔で手を振ってくる子どもたち、そして何より大学の友人と先生方。ルワンダの何気ない日常がとても恋しいです。
ルワンダについてみなさんにお伝えしたいことはたくさんあるのですが、今回は日本人留学生として私が和解の現場を訪れて感じたこと、そしてPIASSの学生たちから学んだことについて書かせていただこうと思います。
佐々木先生の授業で和解について学び、和解の現場を実際に訪れて感じたことのひとつは、日本人にとっての「和解」、そしてルワンダ人にとっての「和解」がそれぞれに持つ意味合いの違いです。みなさんは「和解」という言葉を聞いて、何を思い浮かべるでしょうか?私が和解した経験として思いつくのは、友達や兄弟とのけんかの後です。その場合、「和解」というよりも「仲直り」という言葉の方がしっくりくるかと思うのですが、日本人にとっての和解は、友達と友達の間、兄弟間のことを指すことが多いのではないかと思います。また、仲直りと言っても、自分が悪いと思っていなくてもとりあえず謝ればいいし、謝られたら許さなければいけないというように、けんかの後の仲直りは日本ではまるで義務のように感じられます。それに対し、ルワンダ人にとって「和解」というと、やはり虐殺後の被害者と加害者間のことを意味します。日本のようにとりあえず謝って、とりあえず許すというように簡単に済まされるようなものではありません。日本では、殺人事件が起きても、その犯人と顔を合わさずに生活することができます。しかし、ルワンダでは、近隣や今までで仲良くしていた人たちの間で殺戮が起き、今でも近所付き合いが深いということもあり、会いたくないからといってその人を避けて通るのは難しいという現実があります。そこで感じたのは、ルワンダ人たちが現実にしっかりと向き合っているということ、そして、和解の難しさでした。授業で和解はプロセス、一歩一歩時間をかけて歩んでいく旅のようなものであると勉強しました。もちろん、被害者と加害者同士が顔を合わせて会うということだけでも大きなことです。しかし、和解というのは1度謝って、赦しを請うだけで終わるものではありません。たとえ相手を赦したとしても、その和解をさらに深めていくという意味で和解への旅路に終わりはないのです。それをルワンダ人は一歩一歩着実に歩んでいる様子を和解の現場に行って見ることができました。日本人であれば避けてしまうような現実と向き合い、前を向いて歩んでいくことという選択をしたルワンダ人たちに「希望」を見せてもらいました。貧困に苦しんでいる、教育を受けられない子がたくさんいるなどの理由で、アフリカの人たちは私たちよりも下に見られています。かわいそうだから助けてあげなければいけない、私たち日本の技術を伝えてあげなければいけないというように、支援の対象として見られています。しかし、むしろ日本はアフリカやルワンダから学ぶことがたくさんあると私は思います。ルワンダ人の生き方や考え方を参考にすべきなのではないでしょうか。そのことを希望を持って生きているルワンダ人を見ていて強く感じました。
また、PIASSでルワンダ、ブルンジ、コンゴ、タンザニア出身の学生たちと関わってきて感じたのは、自国や周辺諸国の問題を真剣に考えているということです。私は日本の大学でアフリカ地域を専攻しており、大学入学当初からアフリカの問題に興味をもって勉強してきました。そして、ルワンダに渡ったあとも、実際に留学に行かないと分からないルワンダや隣国の問題を学ぼうと必死になっていました。しかし、PIASSの友人たちが自国の問題について知識が豊富で、それに対して自分の意見をはっきりと持っているのに対し、私は授業中に日本のことを聞かれても自信を持って答えることができませんでした。そのことがきっかけで、自分に近い問題から目をそらしていたことに気付かされ、日本のこともしっかり勉強しようと思うようになりました。また、私ばかりが学ばせてもらうのではなく、私という日本人がPIASSで勉強することによってみんなにも何かを学んでもらいたいと考え、広島や沖縄に関する発表の場を設けてもらいました。PIASSの学生と一緒にいて学んだもうひとつは、問題解決のために自分たちで何か行動を起こすことの大切さです。私も含め、日本の若者は、「自分たちは力不足だ」、「声を上げても聞いてもらえないし、何も変わらない」と思ってしまいます。しかし、PIASSの友人は、小さいことかもしれないが自分たちも何か力になれる、何か力になりたいと自ら行動を起こしていました。国境や個人の差異を越えることを目的にルワンダの周辺国の若者が集まる会議を開いたり、ブルンジの暴動に対する追悼としてキャンドルナイトを企画したりしていました。そのような友人たちを見て「希望」を感じましたし、「私も負けてられない、何か行動に起こさないと」と思わされました。
PIASSでの授業中、ある女性の先生が私たちにこのような質問をしました。「私たち人間はずっと争い合ってきたし、差別と偏見が至るところに根付いているけれど、あなたたちはこの世界の未来をどう見ているの?」それに対して、多くの学生が「確かに問題はたくさんあるけれど、どれも少しずつ解決に向かっていると思う。未来は明るい!」という考えを持っていました。このとき、私は同じく佐々木先生の同僚である先生の言葉を思い出しました。「僕はKazu(佐々木先生)と考え方がすごく似ていて気が合うけれど、どうしても『平和』に対する考え方だけは合わない。僕は、紛争はなくならないと世界を悲観的に見てしまうけれど、Kazuは違う。彼はいつか必ず平和は訪れるとこの世界に可能性と希望を見出している。彼のそういうところを僕は尊敬しているんだ。」佐々木先生の平和に対する思いが、学生たちに伝わっていることを実感した瞬間でした。佐々木先生のもとで様々な国の学生たちが共に学ぶことによって、これからも平和と希望の環はどんどん広がっていくと思います。そのような環の中にいる若者が世界の平和のために活躍していくでしょうし、私もその中の一人になりたいです。