平和学習ツアーの感想
(主催・沖縄から宣教を考える会 2026/3/15-18)
ムヒルワ・パトリック
PUR 平和紛争学科卒業生 / 広島大学大学院国際平和共生プログラム
私が初めて沖縄について知ったのは、数年前にルワンダで佐々木和之教授が担当した平和運動の授業でした。当日は沖縄があまりにも遠く感じられ、なぜ沖縄の人々が軍事基地の存在に対してこれほどまでに抗議しているのか深く考えたことはありませんでした。実際に沖縄を訪れ、現地を観察し、人々の話に耳を傾け、語り合うことで、私の考えは一変しました。私は、これらの軍事基地がそこに暮らす人々にとっていかに現実的な脅威であったか、そして今もなおそうであるということをこの目で直接見ることができました。
2026年3月15日から18日にかけて行われた平和ツアーは、3月15日の夕方、那覇新都心キリスト教会で開会礼拝から始まりました。そこでは、安里道直牧師(沖縄バプテスト連盟東風平教会)がマルコによる福音書15章21節から説教し、権力者によって十字架を背負わされたシモンの物語を語りました。彼はこれを、沖縄の人々が自らの意思に反して戦争に動員されたことに関連づけました。その時、私はこの関連性をよく理解できていませんでした。その後の数日間、沖縄戦に関する追悼の地を訪れて初めて、そのメッセージが私の中で生き生きとしたものとなったのです。
私たちが最初に訪れた追悼の地は日本基督教団首里教会でした。クリスチャンとして、私は沖縄戦における教会の役割について多くの疑問を抱えてその地を訪れました。私の母国ルワンダで起こった1994年のジェノサイドにおいて、教会や個人が操られ、巻き込まれていった歴史が示すように、信仰共同体は必ずしも政治的な悪用から守られているわけではありません。首里教会で私が深く感動したのは、戦争の破壊を生き延び、希望の象徴として保存された十字架の姿でした。それは、深い喪失の後であっても、希望こそが私たちの力の源であり続けることを静かに語りかけています。
また、普天間基地に隣接する佐喜真美術館も訪れました。私が最も感銘を受けたのは、約76人の証言を凝縮した一つの作品(丸木位里・俊「沖縄戦の図」)でした。それは言葉を使わずに語りかけ、その前に立つ誰もが、自身の経験の断片をそこに映し出すことができるものです。私にとって、この美術館には二つの重要な意味があります。今も使われている軍事基地の端に位置するその物理的な立地自体が、過去に起きた出来事への証言であり、記憶を保存し、生存者の癒しを支えるという積極的な取り組みの表れです。そして館内の芸術作品は、沖縄の人々が言葉では表現しきれないことを表しているのです。
佐喜真美術館の屋上に立ちながら、私は基地内にお墓があることに気づきました。詳しく尋ねてみると、そこに埋葬された愛する人を訪ねたいと願う遺族は、まず基地当局の許可を得なければならないという事実を知り、衝撃を受けました。場合によっては、その手続きにかなりの時間を要することもあるそうです。これは極めて不当であり、住民にとって心理的なダメージを与えるものだと考えます。記憶に境界はない。悲しみに検問所はない。フェンスを使って遺族と亡き愛する人を隔てることは、彼らの感情的な権利と人間の尊厳に対する重大な侵害です。米軍基地の存在が、人々が大切な人を悼むことさえ妨げている現状が、沖縄で平和を求める運動が続いている理由の一つになっているのだと私は思います。
3月16日の夕方、私たちは普天間基地のゲート前でゴスペルを歌う会に参加しました。抗議活動は完全に平和的なもので、攻撃的な言葉はなく、讃美歌と祈りだけでした。私も参加しましたが、正直なところ、集会の締めくくりに語った神谷武宏牧師(普天間バプテスト教会)の言葉を振り返るまでは、これほど穏やかな行動で本当に変化をもたらせるのか確信が持てませんでした。彼はこう言いました。「もし基地(フェンス)がまだここにあったら、月曜日にまたここで会いましょう」
最初は、単に次回の集まりを知らせる言葉だと思いました。しかしその夜、寝る前までその言葉を頭の中で反芻し、徐々にその真意が理解できました。神谷牧師は、来週の月曜日までには基地(フェンス)が撤去されているかもしれないという、確固たる信念を語っていたのだと気が付きました。もしそうなれば、再びそこに集まる必要はないということです。その一言が、この運動の精神の全てを私に理解させてくれました。抗議活動は基地が閉鎖されるまで続き、必要以上に一日たりとも長くは続かないということです。
「ひめゆり平和祈念資料館」への訪問は、教育の役割について深く考えさせるものでした。そこでは、生徒や教師がどのようにして戦争に巻き込まれていったかが示されていました。学校での軍国主義的な歌を通じて動員され、戦闘服のような制服を着せられ、負傷兵の看護や食事の配給のために学徒隊として配属されていったのです。これらすべてを目の当たりにして、私は教育こそが世界で最も強力な力の一つであると確信しました。教育が平和を育むとき、平和な人々を生み出します。一方、教育が戦争を美化すれば、世界は苦しむことになります。
平和に根ざした価値観と姿勢を持って子どもたちを育てることは、すべての学校、すべての家庭、すべての教会、すべての地域社会の責任です。そして、それを実現するためには、教育は政治的な思惑から可能な限り独立していなければなりません。学校は、政府によって役割がすでに決められた生徒ではなく、自分たちがどのように社会に貢献できるかを自由に考える生徒を育成すべきです。それこそが、平和をもたらす教育です。
南北の塔や魂魄の塔(慰霊碑)、そして沖縄平和祈念資料館を訪れた際、日本各地の都道府県から集まった人々を象徴する記念碑が、一つの追悼の場に集められている光景に胸を打たれたました。さらに心を強く揺さぶられたのは、記念碑に刻まれた名前の中に、沖縄で命を落とした米兵たちの名前も含まれていると知ったときでした。
沖縄戦における米軍の役割を思い返し、沖縄の民間人や日本兵と共に、同じ追悼の場で彼らが尊ばれている姿を見ると、心から感動を覚えます。そこには、ただ痛ましい過去を記憶に留めるだけでなく、回復力、赦し、そして変容が表れているのです。アメリカ人に対する憎しみは、ここには一切見られません。だからこそ、沖縄を訪れる誰もが、基地反対運動が反米感情によるものではないことをはっきりと理解できるのです。それは、戦争の構造や、地域の人々の生活を危険にさらす軍事施設の存在に反対する運動なのです。この区別は重要であり、称賛に値するものです。
平和祈念資料館に展示された数多くの証言の中で、特に私の心に深く刻まれた言葉があります。
「戦争を始めるのは人間だ。しかしそれ以上に、戦争を防ぐのもまた私たち人間ではないのか?」
この問いは、平和に貢献する責任が誰にでもあることを示しています。そして、暴力が起きたり繰り返されたりしないように、私たち一人ひとりができる限りの方法で行動することを促しているのです。
ツアー最終日の派遣礼拝で、広木愛牧師は、ヨハネによる福音書16章16〜24節とヨハネによる福音書6章16〜21節を引用し、舟の上でのイエスの臨在について説教しました。彼女は、そこで嵐が鎮まることはなかったが、イエスが「恐れるな。わたしがあなたたちと共にある」と言われたことの意味を語りました。この説教は、私たちが率直に嘆き、今日、沖縄や世界各地で起きている出来事について共に叫ぶための場を開いてくれました。
彼女は、祈る多くのクリスチャンが心の中に抱きつつも、めったに口に出さない疑問を代弁しました。「私たちの祈りは不十分なのだろうか」と。私たちは祈り、集い、歌い、信じているにもかかわらず、苦しみは続いているのですから。
このような嘆きは、信仰が弱い証拠ではありません。聖書において、嘆きは詩編や哀歌、預言者たちの叫びに見られる、最も率直な祈りの形の一つです。それは、神を愛する人々が、「すべてが順調だ」と装うことを拒んだ時に生じるものです。それは、神の御前に率直に差し出される悲しみであり、私たちの神との誠実な対話なのです。
この説教は私の心に深く響きました。私にも似たような嘆きがあります。自分の住む地域や、そこで人々が長年耐え忍んできたことを思うとき、その嘆きを抱きます。中東からのニュースを見るときにも、その嘆きを抱きます。そこでは紛争に終わりが見えず、子どもたちは戦争しか知らないまま成長し、暴力の連鎖が続く中で和平交渉は繰り返し決裂しているのです。平和構築を学ぶ者として、私は絶えず自問しています。「私に何ができるのか」「苦しみの規模はあまりにも大きく、権力構造は変化に強く抵抗している。このような状況で、介入することに何の意味があるのか」と。
クリスチャンとして、その問いはいっそう深く心に響きます。神が望まれる正義と尊厳、そして平和に満ちた世界と、私たちが生きている現実との大きな隔たりに、ときに圧倒されてしまいます。理想と現実の狭間で途方に暮れてしまうこともあります。しかし、私が沖縄で、とりわけあの派遣礼拝の説教の中で見い出したのは、共に分かち合う嘆きは絶望ではないということです。クリスチャンとして、平和構築者として、誠実に関心を絶やさない人間として集い、私たちの率直な痛みと混乱を共に神の前に差し出すとき、何かが変わります。私たちは必ずしも答えを持って帰るわけではありません。しかし、自分の疑問を抱えているのは自分だけではないと知り、力を得てその場を後にします。軍事基地の門前へ、記念館へ、学校の教室へ、教会へ、祈りの輪へ ―― ただそこに立ち続けること自体が、信仰であり抵抗の行為であることを改めて思い知らされながら、その場を後にするのです。
広木牧師の説教は、平和のために働くことが単なる戦略や交渉だけではないことを思い起こさせてくれました。それは、霊的な忍耐をも必要とするものであり、信仰者が、希望を持つことすら不条理に思える状況にあっても、なおそれを握りしめ、まだあるべき姿になっていないこの世界の只中で、神に介入し、私たちを支えてくださるよう共に祈り続けることに他ならないのです。
ほんの数日間でしたが、沖縄は私が想像していた以上のものを与えてくれました。この体験を可能にしてくださったすべての方々に深く感謝しています。特に、私を招待し、道中多くのことを辛抱強く説明してくださり、最後の説教で私が長年抱えていた疑問に言葉を与えてくださった広木牧師。那覇新都心教会で温かく私を迎えてくださり、協力牧師の岡田有右さんと岡田富美子さん。そして、この旅と数多くの対話を分かち合った平和ツアーの仲間たち全員に。
沖縄での思い出は、いつまでも私の心に残り続けるでしょう。そしていつか、必ずまた戻ってくると確信しています。
ムラコゼ・チャーネ(ありがとうございます)、沖縄。
(2026年5月『ウブムエ77号』より)

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