佐々木和之(ささき・かずゆき)

みなさま、こんにちは。
今年はイースターの直後から、ルワンダ語でクィブカ(「記憶する」を意味する言葉)と呼ばれるジェノサイド記念期間(4月7日からの100日間)が始まりました。特に4月7日からの1週間は、ジェノサイド犠牲者追悼期間とされ、全国で一斉に半旗が掲げられ、国全体が重苦しい空気に包まれます。
ルワンダ政府は、3年前から追悼期間においても経済活動を原則として制限しない方針を維持しています。かつては初日と最終日が休日となり、その間の5日間は午前中のみの業務に限られていましたが、現在は通常の経済活動が行われています。ただし、お祝い事や娯楽的な行為は厳しく慎むべきものとされています。
この期間、私は「記憶の癒し」について深く考えさせられています。その中で見えてきたのは、記憶にはさまざまな向き合い方があるということです。
癒えない記憶
ルワンダでの生活を始めてから20年、私は毎年この追悼期間をこの国で過ごしています。その中で強く感じるのは、過去に受けた暴力の記憶や心の傷は、時の経過だけで癒えるものではないということです。実際、私が親しくしている人々のなかでも、ジェノサイド当時に生死を分ける体験をした方々の多くが、この時期になると深い悲しみに包まれ、眠れなくなったり体調を崩したりしています。30年以上が経った今も、当時の出来事は多くの人々の内面に現在進行形のものとして残り続けているかのようです。
こうした状況は、ルワンダ社会の現実を考えれば無理もありません。特に農村部では、日常の生活空間そのものがかつての暴力の現場でした。いま祈りを捧げる教会で虐殺が行われ、日常的に使われるマチェーテ(農作業用のナタ)は、かつて人を傷つけるために使われました。さらに、被害者と同じ村で刑期を終えた加害者が隣人として暮らしていることもあります。このように、ジェノサイドの記憶は「過去」にとどまらず、日常の中で断片的に呼び起こされ続けているのです。
近年、ルワンダでは世代間トラウマの深刻さも指摘されています。ジェノサイドを直接経験していない若い世代にもその影響が引き継がれ、追悼期間になると不安や抑うつを訴える学生たちの姿も見られます。政府主催の追悼式典では、生存者の証言の最中にフラッシュバックを起こして叫び出す人がしばしば見られますが、その中には当時を経験していない若者も含まれています。
記憶を語るという営み
記憶を癒すとは、過去を忘れることではなく、それを他者と分かち合い、新たな意味を見出していく営みである。これは、ジェノサイドの被害者と加害者の妻たちが、10年以上にわたり、共に癒しと和解の歩みを続けてきたウムチョ・ニャンザの女性たちから、私が学んできたことの一つです。
追悼期間が終わった翌日の4月14日、私の出身校でもある、英国ブラッドフォード大学院で平和学と国際開発学を専攻する学生たち20名がウムチョ・ニャンザの工房を訪ね、小グループに分かれて女性たちから話を聴く機会がありました。追悼期間の近い時期に彼女たちが来訪者と交流するのは今回が初めてでしたので、学生たちが彼女たちの過去の辛い記憶を呼び起こさせ、苦痛を与えてしまうのではないかとの懸念もありました。そこで私は、学生たちがジェノサイド後の癒しと和解という課題を自らの問題として受け止められるように、事前に一日がかりのワークショップに参加してもらった上で、交流の日を迎えました。その結果、北米、南米、アジア、中東、欧州、アフリカの14カ国から集まった学生たちは、女性たちに深い敬意を持って質問をし、その語りを共感的に聴いたのでした。

和解ワークショップワークショップで実施したロールプレー
私が参加したグループでは、生存被害者のフランソワーズさんが、ジェノサイドによる壮絶な被害体験のことも含め、学生たちに語ってくださいました。彼女は最近、ジェノサイド時に受けた暴行の後遺症による腰痛に苦しみ、工房での活動も休みがちでした。それでもイギリスからの来訪者ということで、痛みを押して交流会に参加されたのでした。
フランソワーズさんは、ジェノサイド当時の経験を、あふれ出てくる涙をこらえながら語られました。彼女や他の生存被害者のメンバーにとって、ジェノサイドに連なる過去を思い起こして語るのは、32年を経た今でもとても辛いことなのです。しかし、彼女の語りは、自らの苦難に関することだけではなく、癒しと和解のセミナーを通して、憎しみという重荷を下ろす決断へと導かれ、再び自分を愛することを学び、やがてそこで出会った女性たちと共に働くなかで、少しずつお互いへの不信と嫌悪を乗り越え、今は心から姉妹と呼び合える関係になったというものでした。さらには、直接の加害者をも赦したことにより、今は誰に対しても憎しみを抱いていないと語られたのでした。
私は今回も、彼女たちの過去の語りが単に以前起きた出来事を再現するものではなく、その後の人生の中で懸命に紡いできた癒しと和解の物語のなかに位置づけられていることをあらためて実感しました。苦難の記憶が、他者との関係修復や赦しの経験とのつながりの中で、自らの人生の物語へと統合されている。それこそが、「記憶が癒される」ということの一つのかたちであると確認したのです。
もう一つ印象に残ったのは、彼女たちが強い使命感を持って記憶を語っていたということでした。複数の女性たちが学生たちに対し、「私たちが語ったジェノサイドの事実を、きちんと他の人々にも伝えてほしい」と語りかけていました。また若者たちへのメッセージとして、「私たちの歩みから、和解が可能であることを知ってほしい」と話し、紛争を乗り越えるためには「赦しを請うこと」と「赦すこと」の両方が不可欠であると訴えたのでした。
最近読んだ本の中に、性暴力の被害者として声をあげ続けている女性について、「体験したことを他者のため差し出すことを通じて、… 過去に新しい意味を見出すようになった」と記されていました(ジュディス・L・ハーマン著『真実と修復』、81頁)。ウムチョ・ニャンザの女性たちの多くもまた、自らの体験を分かち合うことが他者の助けになることを明確に意識して語っています。かつてフランソワーズさんは、恥辱を伴う経験まで語る理由について、「私が語ることで助けられる人がいると分かっているからです」と静かに、しかし確固とした口調で私に語りました。そして、「癒しを受け取った者は、他の人々の癒しをもたらすために働き得るという、神様の恵みに感謝しています」とも述べたのでした(『ウブムエ』60号参照)。
自らの過去の経験 ―― たとえそれが、本当なら忘れてしまいたいような、過酷な経験だとしても ―― を他者のために分かち合う。フランソワーズさんの話を聴くと、その他者のための行為が、実は自分自身の生を支える意味をもたらしていることに気づきます。記憶は、他者のために語られるとき、過去の出来事に新たな意味を与え、現在を生きる力へと変えられていくのかもしれません。

ブラッドフォード大学院生との交流
語らないという選択
ジェノサイド後のルワンダには、語ることによって癒された人々がいる一方で、あえて語らないことを選んだ人々もいます。その「語らない選択」の意味について考えさせてくれたのは、ウムチョ・ニャンザのメンバーの一人、マリアさん(仮名)でした。私はこれまで、彼女がジェノサイド当時の経験について人前で具体的に語るを見を見たことがありません。
追悼期間が始まる2週間前、私はマリアさんのご自宅を訪ね、ライフストーリーの聴き取りをさせていただきました。その際、彼女自身の口から、ジェノサイド当時の経験について、それまで一切沈黙を守り続けてきたと聞かされたのです。
彼女は、ジェノサイドの加害者を裁くガチャチャ裁判に参加はしたものの、証言をしたことは一度もなかったといいます。その理由を尋ねると、自分の経験を語れば、結果として誰かを傷つけてしまうからだと言われました。真実を語ることは、自分と当時まだ幼かった娘をかくまってくれた人々の身内を告発することにつながると言うのです。さらに、自分を川に投げ込んだ男性の父親は彼女の命を救ってくれた恩人でもありました。もし男性を告発すれば、その父親を苦しめることになる。そうした思いから、彼女は危害を加えた人々を赦し、語らないことを選んだのでした。
彼女の話に耳を傾ける中で、ルワンダには癒しきれない記憶を抱えながらも、それについて語らないことを選び、30年以上を生きてこられた人々が少なからずおられるのではないかと思いました。確かにその方々は、語ることが困難な状況の中で生きておられます。しかしそのような中でも誰かに強いられるのではなく、主体的に沈黙を守ることを選んだ人々に私は深い敬意を抱きます。そしてその日、マリアさんが「語らないこと」を語ってくださったことを、私は今も深く心に留めています。
(2026年5月『ウブムエ77号』巻頭言より)
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