ルワンダ留学の折り返し地点に立って

ヒロシマ・ワークショップの参加者と

広島市立大学国際学部4年

向地由

 こんにちは、広島市立大学国際学部4年の向地由(むこうじゆい)です。私は2016年3月末からProtestant Institute of Arts and Social Sciences (ピアス大学)に留学させて頂いています。今回はルワンダでの留学の半年間を振り返って、留学の様子や学びについてご報告したいと思います。

私は広島で生まれ育ったことから「平和」や「紛争」に興味を持ち、大学では国際政治学・平和学を学んできました。紛争の絶えないアフリカ地域に興味を持ち、その中でも22年前に大虐殺を経験したルワンダに強く興味を持ちました。紛争を経験したルワンダや太湖地域の国々の学生達と共に平和学を学びたいと思ったこと、またルワンダの実社会で和解などの草の根の平和構築活動がどのように行われているのかを見たいと思い、ピアス大学への留学を決めました。

佐々木先生が教えていらっしゃるピアス大学では、ルワンダ人だけでなくコンゴ民主共和国やブルンジからの学生たちと共に学んでいます。非暴力の理論と実践、ピース・ジャーナリズム、平和教育など、どれも日本では学ぶことの出来ないユニークな授業ばかりで、とても面白いです。授業の中では学生が活発に意見を交わし合い、お互いに気づきを与えあっています。また授業以外にも様々なワークショップやピース・クラブでの活動に参加し、たくさんの学びを頂いています。その中でも、共に学んでいる大学の友人達からはいつも刺激を受けています。

 ピアスの学生団体であるピースクラブでヒロシマをテーマにしたワークショップで発表する筆者(写真中央)
ピアスの学生団体であるピースクラブでヒロシマをテーマにしたワークショップで発表する筆者(写真中央)

今年の5月にピース・クラブの活動の一つとして、日本人留学生二人で広島の原爆についてのプレゼンテーションと、「過去の継承」についてのディスカッションをするワークショップをさせて頂きました。友人たちにとって広島の原爆は遠い日本の、過去の出来事であるにも関わらず、とても興味を持って聞いてくれました。その中の一人の友人が「なぜ日本人は原爆を落としたアメリカのことを赦せるのか?」と聞いてきました。私はこの質問に上手く答えられませんでした。広島で生まれ育ったのに、一度もそのような視点から深く考えたことがなかったからです。

彼女の一言は、自分のルーツの一つである「広島」についてもう一度考え直すきっかけとなりました。また広島の原爆とルワンダのジェノサイドはもちろん異なるものですが、「和解」そして「継承」という点では繋がる部分があるのだと実感させられました。

ヒロシマ・ワークショップの参加者と
ヒロシマ・ワークショップの参加者と

また今年の9月に佐々木先生の支援会の方々が日本からスタディーツアーとしてルワンダを訪れてくださり、私たち日本人学生やピアスの学生たちと共にルワンダ東部のキレヘという地域を訪問しました。そこでは佐々木先生やNGOリーチによって支えられてきた、ジェノサイド加害者による被害者への「償いの家づくり」の活動や、両者が共に運営する養豚活動が行われています。キレヘの村では加害者が自分の罪を認め被害者に対して謝罪をし、被害者が心から加害者を赦すという和解のステップだけでなく、加害者が償いの気持ちを行動に移していること、また両者が養豚を通して生計を共に分かち合うことが行われています。

訪問の中ではそうした活動の現場を視察したり、ジェノサイドの被害者・加害者双方からお話を聞くことが出来ました。自分の家族や親戚を殺され、あるいは傷つけられ、そして自分自身も人間としての尊厳を傷つけられた被害者の方々が相手を赦そうとする心、また加害者が自分の罪を認め謝罪をし、赦しを請うという双方の歩み寄りが和解において必要であることを実感しました。また謝罪したら、赦したら「終わり」ではなく、その後も共に生きていくために壊れた関係を紡いでいかなければならないということを感じました。和解は最終地点ではなく、両者が生涯を通して「赦し、赦され」続けていく道のりなのだと思いました。

支援会のスタディーツアー参加者とピアスの学生たちがキレヘの和解プログラムを訪問
支援会のスタディーツアー参加者とピアスの学生たちがキレヘの和解プログラムを訪問

このキレヘの訪問を通して、普段勉強していることが社会に実践として活かされている様子を見ることが出来ました。平和構築の現場を見てみたいと思っていた私にとって、この機会は学びと社会の繋がりを感じることの出来るとても良いものとなりました。また印象的だったのは、そうした草の根の和解活動を目にした友人達が心から感動していたことでした。

ある友人が「日本人のKazu(佐々木先生)がルワンダの和解という課題に取り組んでいるのに、ルワンダ人の僕は何もしていないことに気が付いた。僕も平和をつくる動きに加わっていきたい。」と言っていました。この言葉を聞いて、ルワンダ人や周辺地域の学生たちにとってこうした現場を見ることがどれだけ貴重なものかということを実感しました。それと同時に、胸を張って自分の意志を示す彼の姿に勇気づけられ、私も自分自身と向き合い、これからの道を拓いていきたいと思いました。

このようにピアスでの留学生活を送る中でたくさんの友人に恵まれ、彼らから新しい気づきやたくさんの刺激を受けています。ルワンダでの出会いやたくさんの友人、学び、経験は私にとってかけがえのない宝物です。

ルワンダに来る前は、漠然と平和学や紛争学を学びたい、自分の目で現場を見たいという想いしかありませんでした。しかし、友人達と話したり、現場を訪問したりする中で、自分自身の興味や日本のこと、そして広島のことについて深く考えさせられるようになりました。そのような中で、「過去の出来事をどのように継承していくのか」ということ、また「どうしたら平和をつくることが出来るのか」ということに広島とルワンダの繋がりを感じ、強く興味を持つようになりました。こうした気づきを与えてくれた友人たちへの恩返しとして、今後は私のルーツである広島と、この素晴らしいルワンダという国を繋ぎ、共に学び合えるような機会をつくっていきたいと思います。

ルワンダ北部でランティアをした時のホームステイ先の家族と
ルワンダ北部でボランティアをした時のホームステイ先の家族と

最後になりますが、大変お世話になっている佐々木先生や奥様をはじめ、いつも学びを与えてくれる友人達、日本にいる家族にとても感謝をしています。残りの留学生活も半年を切ってしまいましたが、このルワンダという国で過ごせる貴重な時間を大切にして、たくさんの学びを得ていきたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。