その後、「悔悛」について、そして謝罪について学びました。その中で、真の悔悛とは
- 心の刷新であり、
- 犯した罪の責任を負うことであり、
- 為し得る限りの賠償や返還を伴うもの
であることが確認されました。そして、加害者は、神の前で悔悛し(悔い改め)、被害者に心から謝罪することにより、以下の事柄が実現し得ることを学びました。
- 神との間に平和を得る。
- 罪の重荷から解放される。
- 恐れから解放される。
- 加害者の信用回復への一歩となる。
- 被害者との和解への一歩となる。
- 被害者が赦しへと踏み出す契機となる。
- 正義の実現に貢献する。
- 共同体内の関係回復の助けとなる。
それから、具体的な演習なども交えながら、他者に赦しを求める時に注意すべき点について学びました。
- 自分の誤った行動の内容について明確に述べ、その責任を負うと宣言する。
- 「もしあなたを傷つけたなら」のように、「もし」をつけて謝罪しない。
- 傷つけられた側を決して責めたり、その人たちの落ち度を指摘しない。
- 軽々しく謝罪しない。
- 謝罪しながらお説教をしない。
- 赦しを要求しない。
- 加害行為の内容や背景について説明はしても言い訳はしない。
- 謝罪の後、為し得る限りの賠償や返還の方法を誠実に探し実行する。
これらのポイントの中には、「赦しを要求しない」など、さすがにはそれはないだろうー、と思わされるようなこともいくつかあるのですが、ルワンダでジェノサイドの加害者の方々と話していると、「自分たちは政府の方針に従って謝罪し、被害者との和解を求めている。後は被害者しだいだ」といったような、ちょっと偉そうな発言をする人たちがいますし、「あの時は政府の命令で仕方なかった。悪気は無かったんだ、だから赦してくれ」というような、言い訳がましい謝罪も決してめずらしくないのです。
ただ、こういう不適切な謝罪は決してルワンダだけのことではなく、日本でも案外多いのではないかとも思いますが、いかがでしょうか。何について謝罪しているのかよく分からない、といったことが結構ありますよね。
写真解説「赦しについてのセッションの一コマ」被害者は加害者を赦すことによって、加害者と自分を縛っている縄目から解放される。