平和を築く若者たちに導かれて 【佐々木 和之】

ニュースレター・ウブムエ

みなさま、こんにちは。ルワンダでの活動も、この10月で22年目を迎えました。活動を始めた当初、人生の3分の1以上をこの国で過ごすとは想像していませんでした。長年、私と恵の働きを覚え、祈りと支援をもって伴ってくださる皆さまに心より感謝いたします。

10月下旬の一時帰国を前に、私がルワンダ・プロテスタント大学(PUR)の平和紛争学科と平和センターで大切にしてきたこと、そして、なぜ新たにコンゴ民主共和国東部の平和構築に関わろうとしているのかをお伝えしたいと思います。

■ 分断を越えて、共に平和を築く仲間を育てる

私が取り組んできたのは、国や民族、宗教、歴史的経験の違いを越え、人々が共に学び、働き、平和を築くコミュニティーづくりです。1994年に大虐殺を経験したルワンダと、今も武力紛争が続くコンゴ東部をはじめとする大湖地域には、深い傷と不信が残っています。暴力や憎悪によって対立を深めず、互いの尊厳を認め、対話と協働によって関係をつくり直す道を探してきました。

PURにはルワンダの他、コンゴ、ブルンジ、南スーダン、ナイジェリアなど、紛争を経験した国々から若者が集まります。キリスト教徒とイスラム教徒が共に学び、家族を失った人、難民として育った人も少なくありません。学生たちは、大虐殺の後、和解の道を歩んできたウムチョ・ニャンザの女性たちとの交流や、国境を越えた平和キャンプなどを通し、他者の痛みに耳を傾け、異なる立場の人と共に生きることを学んできました。

これまでに160名以上が平和紛争学科を卒業し、40名近くの日本人留学生も学びました。卒業生たちは世界19か国で平和構築や貧困削減などに取り組んでいます。私たちの仕事は、出会いと学びを積み重ね、いつかそれぞれの場所で平和をつくる人が育つよう、小さな種をまき、信頼関係を築き、歩み出す若者たちを支えていくことなのです。

 

■ 「隣国の紛争」が、学生たち自身の生と死の問題に

これまで本誌でお伝えしてきたように、2024年以降、コンゴ東部の情勢は急速に悪化しました。2025年1~2月には武装勢力M23が攻勢を強め、主要都市ゴマとブカブが相次いでその支配下に入りました。多くの市民が命を落とし、家を追われました。コンゴ出身の学生たちから、砲撃への恐怖、負傷者であふれる病院、食料や医薬品の不足、亡くなった人々の埋葬にあたる人たちの話を聞きました。それまでどこか「隣国で起きている紛争」だったものが、毎日顔を合わせる学生やその家族の生と死に直結する現実となったのです。

ゴマが陥落して間もない2025年2月、コンゴ東部からルワンダに留学したコンゴ人、ルワンダで生活するコンゴ難民、ルワンダ人、ブルンジ人の学生・卒業生を自宅に招き、対話を始めました(本誌72・76号参照)。平和構築を共に学んだ仲間でありながら、彼らは戦争の当事者でもあります。家族を殺された人、難民となった人、親族がコンゴ政府軍側、あるいはM23側にいる人もいました。歴史認識も政治的立場も異なり、合意点を見つけることさえ容易ではありませんでした。

それでも対話を重ねるうち、一人のコンゴ難民の学生が語りました。「政治的立場について完全に一致することは難しくても、私たちはこの地域の平和をつくるために共に働くパートナーだというメッセージなら発信できるのではないか」。やがて、非暴力によって社会を変えること、憎悪を煽る情報に流されないこと、国境を越えて平和を訴えることが、若者たち自身の言葉で語られるようになりました。

 

■ 故郷に戻り、武器ではなく対話を選ぶ

コンゴ東部北キブ州キチャンガの町

その対話に参加していた一人が、ンゲンジ・ムクンジさんです(本誌78号参照)。コンゴ難民としてルワンダで育ち、PURで学んだ彼は、卒業後、故郷のコンゴの町キチャンガへ戻りました。「平和を最も必要としている場所で学びを生かさなければ、大学で得た知識は自分の中にとどまったままになる」と考えたからです。

帰郷後、M23と関係の深い親族から行政官になるよう何度も勧められました。受け入れれば地位や収入を得られるかもしれません。しかし彼は断りました。武装勢力のために働けば、いずれ戦闘に動員され、PURで友人となった人々の家族に銃を向けることにつながりかねないと考えたからです。

今、彼はNGO「平和と和解のためのコンゴ人連合」(CUPRA/DRC)のボランティアとして、サッカー、伝統舞踊、演劇、平和教育や対話を通じ、子どもや若者が民族間の分断を越えて出会う場をつくっています。武装勢力ではなく地域社会の中に自分の役割と居場所を見いだせるようにする活動です。彼の存在は、紛争の暗闇に灯る一筋の光です。その光を消さないため、PUR平和センターは支援を決めました。

日本人元留学生たちも「自分たちに何かできないか」と考え、2025年秋に「とりくむゑ」を立ち上げ、卒業生による「非暴力行動のための青年エンパワーメント事業(YENA)」を日本から支え始めました(本誌76号参照)。その一人、田畑勇樹さんは2020年にPURで学び、その後ウガンダ北部でNGO職員として働いていましたが、仲間の活動に加わろうとルワンダへ戻り、今年7月からPUR平和センターで働いています。かつて共に学んだ若者たちが、今度はそれぞれの場所から手を取り合い、平和を築こうとしているのです。

 

■ 平和を築く若者たちに導かれて

今年8月、田畑さんはンゲンジさんの活動を支える担当者として、現地へ行きたいと申し出ました。上司である私は、彼一人に「行ってきなさい」とは言えませんでした。まず私自身が現場の状況と必要を知り、平和センターとして何を支えられるのか、何をすべきではないのか、責任ある関わり方を現地の仲間と考える必要があると思ったのです。そこで先週、田畑さんと共に3日間、ゴマとキチャンガを訪ねました。詳しくは本号の田畑さんの報告をお読みください。

コンゴ東部の危険を軽く考えているわけではありません。北キブ州と南キブ州には日本を含む各国政府から渡航中止勧告が出され、一部地域では戦闘が続いています。紛争分析機関や受け入れ団体CUPRA/DRC、現地の卒業生から情報を確かめ、ンゲンジさんの同行のもと、安全を最優先しました。幸い滞在中に緊張を強いられる場面はなく、無事に大学のあるフイエへ戻れました。

この決断を信仰的に考える中で、復活したイエスが弟子のペテロに語られた言葉を思い起こしました。「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」(ヨハネ21章18節)

コンゴ東部は、私が自分から活動の場として選んだ場所ではありません。21年前、ルワンダに来た時には、いつか直接そこで平和構築に関わるとは想像もしませんでした。そして私はルワンダに留まり、多くの人々や学生たちと出会い、その苦しみに耳を傾けてきました。ところが今、その若者たち自身が立ち上がり、過酷な紛争のただ中で平和のために行動しているのです。

ンゲンジさん(左端)が支援するサッカーチームの子どもたちと

ンゲンジさんが企画した少年サッカー対抗戦を観戦する子どもたち

私はこれまで、若者たちを教え、導いてきたと思っていました。しかし今は、むしろ彼らを通して、私自身が神に導かれているとの思いを強くしています。ンゲンジさんが故郷へ戻り、田畑さんが日本から戻ってきました。コンゴ人、コンゴ難民、ルワンダ人、ブルンジ人の若者たちが、深い対立のただ中で、それでも「戦争ではなく対話を選ぶ」と語り始めました。その一つ一つの歩みに背中を押され、私も次の一歩を踏み出したのです。

 

■ 平和をあきらめない神を信じて

ヨハネ21章で、ペテロへの言葉の最後にイエスは短く言われました。「わたしに従いなさい。」コンゴ東部は、以前なら「行きたくないところ」だったとしても、今は主イエスが先立ち、私を招いてくださる場所なのだと思います。この21年の出会いと働きの積み重ねを通してそこへ導かれてきたことに、神の摂理を感じています。

私たちの小さな活動で、コンゴ東部が短期間で平和になるとは思いません。しかし私は、神がこの地域の平和を諦めておられないと信じています。終わりの見えない暴力の只中で、それでも平和を諦めず、敵意の壁を越えようとする若者たちの中に、「平和を諦めない神」の働きが始まっているのです。神が私たちの心にまき、育ててくださった平和の種が、いつの日か大きな木となり、多くの人が憩えるよう、彼らと共に私にできる小さな役割を果たしていきたいと思います。

長い年月、祈りをもってこの働きに伴ってくださる皆さまに心より感謝いたします。若者たちの希望の光を消さないため、「自分も何かしたい」と思われる方は、ぜひ支援の輪に加わってください。一時帰国の折には皆さまと直接お会いし、この働きを分かち合えることを願っています。

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